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古典的生体概念2(東洋・他)

イネイト・インテリジェンスと同質であろうと思われる各民族における超自然的エネルギー体の観念を見てみたいと思います。これも極めて簡単ですが、まとめてみました。

①「気」=中国・日本の気
天・地・人三才を貫き、動静・陰陽・虚実の相をもつ根元的エネルギー体。すべてのものに内在し、異なる質をもつ。さらにその質は転写されたりして、変更可能である。無機物が発する「気」は弱いが、器としては大きく、転写可能であるとされている。しかし、これは物質によってその基本的質と許容範囲が異なり、例えば水晶などはかなりよいとされている。
人体においては、他の生体から「気」を入出させることが可能であり、これにより生体を活性化できると言われている。この「気」の概念を認知科学的視点で見た場合、「気」が特定の物理的影響を与えないものであるのならば、主体に対する特定の環境設定であるということも出来る。この環境設定により主体内に特定の対応変化が生じ、それにより主体は活性化する。=外気功
また、この様な状況は主体内自体においても構築される。特定の訓練を積むことで、内的環境を変化させるように集中することによって、主体内に「気」が発生し、それを物質である肉体に感応させることにより肉体そのもののレスポンスをあげることが可能である。単純に言えば自己意識操作による肉体の活性化である。=内気功・ヨガ等
精神と肉体が解離していない患者においては、治療家が「気」を意識することによって患者の「気」を呼び覚まし、「気」が呼応しあい活性化すると言われている。この現象は稀なものではないが、このときの治療家の信念や自信、また、患者自身の「気」に対する概念に非常に左右される。

②ヒンドゥーのプラーナprana
プラーナはサンスクリットで古い物語を意味する。人に宿る系譜のようなものである。現代風にいえば遺伝的素質のようなものとなる。しかしながら通常、基本的には「気」と同じものとして捉えられており、いわば生気のようなものである。ヨガにはクンダリニーおよびシャクティという強力なプラーナの覚醒も述べられている。
これらの見解に関しては、欧米の各研究者の間で一致してはいないようであるが、「気」やプラーナが、エネルギー行為体の行為そのものであるならば、それは各人において異なる質を有する可能性は十分にあり、別段一致する必要もないものであろうと思われるし、本来記述不可能なものであろう。

③メラネシアのマナmana
非人格的な超自然的力、普遍的根源的な宗教観念。
一般にものに宿る力で、その力は人間の力を増幅させるとされている。「気」と同じような概念でも使われる。この力は常に人によって働かされているが、それ自身能動的ではなく、非人格的な力であり、何か著しい効果があればマナに帰せられ、何ものにも定着することなく、同時にほとんどすべてのものに存在し、また伝えられるものであり、聖隷や霊魂もこの力を持ち、これを働かすことは呪術的である。

④同様な力は世界各地に見られる。
例を示せば、フィジーのカロウkalou、アボリジニーのボイルヤboylya、北米・アルゴンキン族のマニトゥmanitou、スー族のワカンwakan、ヒューロン族のオレンダorenda、アフリカ・マサイ族のヌガイngaiなど、多く存在します。これらは基本的に「気」や「プラーナ」と同様の観念です。

これらの報告された19世紀後半において、これらの観念はヨーロッパでは驚きであったようです。原始的な宗教は基本的にアニミズムanimism=人格的な霊的存在に対する信仰と思われており、マナに代表されるような非人格的力への畏怖的信仰はヨーロッパの信仰観念にないもので、そのためこれらの観念はマナイズムmanaismとして人類学・民俗学の研究対象となりました。 また、アニミズム、マナイズム共にシャーマニズムshamanismというもの有していますが、このカリスマ的観念は治療行為を行う治療家にとって示唆深いものがあります。シャーマンがいかなる概念のもとにいかなる行いをして人々を救うのかということには、治療というものの原点のようなものと、人の意識との深い関わりのようなものが秘められているようです。意識自体が科学的に解明されなくともそれに対する介入法は古来から存在しており、我々はそれを現代に適合した形に焼き直しているとも言えます。このことは我々のみならず、現代医学にも言えることです。