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科学の条件・反証可能性について

昔、掲示板でいろいろな議論をしたことがあります。
その時、出た話ですが・・・。
すべてが私の投稿ではありません。
当時は、いろいろな論客がおり、論戦したり、和解したりと楽しいものでした。

【科学の4条件】
1.個々人の個性に依存しない
2.再現性があること
3.論理的展開を持つこと
4.観測可能な量で特徴付けられること

科学的な、ある理論・仮説の言明は、常に

1.現在可能な限りの精度・誤差の範囲
2.現在検証可能な範囲
3.現在見出されているある現象・事実の範囲

において有効です。
従って、この範囲『外』おいて常に「反証可能性」があります。
それが「不確かさ」です。

「反証可能性」とはあくまで「反証」の『可能性』です。「反証」が実際に起きてからは『可能性』とは言わない。それが私の考えです。
それは、単に「反証」というだけです。従って、
●「反証可能性」とは、既存の理論(A)が「反証」を受ける「可能性」を常に持っている。よって、「反証可能性」を常に持つ。
●そして、どこにそれを持つのか。それは既存の理論(A)が有効である範囲「外」にそれを持つ。
●既存の理論(A)が有効である範囲とは、既存の理論(A)に関係する

・現在検証可能な範囲
・ある精度と誤差の範囲
・現在見出されている現象や事実の範囲

です。

よって、既存の理論(A)が主張される時点で、既に、それが有効な範囲『外』がありますから、その範囲『外』には
常に「反証可能性」があります。

このような議論のなかで、私は「実効反証可能性」という考えを提示しました。

「実効反証可能性」について

たとえば「地球は丸くなく、世界の果ては滝のようになっている」という命題について、長距離の航海が可能な船を作ることができない時代には、反証可能性がありませんでした(検証或いは実証不能のため、反証不能=科学的言明ではない)。そして、長距離の航海が可能な船を作ることが可能になった時点で反証可能性を有しました。この時点では、この命題は反証可能性を有し、実際に反証されていなかったため科学的な命題でした(実証可能になり、反証可能性を有する=科学的言明となった)。しかし、大航海時代の到来により、マゼランが世界一周をした時点で、この仮説は実際に反証されてしまい、科学的な命題でなくなりました(反証終了)。つまり、科学的探求は終了したわけです。

「地球は丸くなく、世界の果ては滝のようになっている」という仮説は、長距離の航海が可能な船を作ることができない時代には、理論上は反証可能性を有していましたが、実際に反証を行うことは技術的に不可能でした。そして、長距離の航海が可能な船を作ることが可能になった時点で反証を行うことが技術的に可能となりました。そしてついにマゼランの部下(もしくは鄭和)が世界一周をした時点で、この仮説は実際に反証されてしまい、一般に科学的には正しくないと信じられるようになりました。」

「当時の技術では、”実際に”検証(=証明+反証)する術がないので、それを”実行する”事が出来ないだけで、”反証可能性”が”ない”という訳でないが、実効性のある反証可能性ではない。」

という事です。

結局、そこで言っている事は、

現在検証可能な範囲
ある誤差・精度の範囲
見出されている現象・事実の範囲

の中でしかない・・・・・・・・・・という「科学的」言明であります。

概念としての「反証可能性」は、範囲設定さえすれば簡単に生じるわけであるため、方法論的な取り組みが重要視されています。

しかし、反証可能性には、仮説の反証例があっても、前提条件が満たされていないとみなしたり、新たな仮説を補ったりする(アドホックな仮説)ため、それが反証だと認められるとは限らないので、ある仮説を反証する決定的な実験はないとデュエムやクワインに指摘されました。(デュエム‐クワイン・テーゼ)
ラカトシュは理論の前提となる重要な仮説(hard core)の周りに補助仮説群(protective belt)があり、反証例が現れたときは、補助仮説を追加・変更することで、重要な仮説が守られるという「research program」の概念を唱えました。
補助仮説群の修正によって反証可能性が高まり新事実が予言できるようになる理論を、前進している理論だとしたわけです。
ただ、いたずらにアドホックな仮説を追加することは、「オッカムの剃刀」に抵触することになります。

「オッカムの剃刀」(オッカムのかみそり; Occam’s Razor)とは、14世紀の神学者オッカムが多用したことで有名な哲学原理で、 「ある事柄を説明するのに、必要以上の仮説を立ててはならない」というものである。
また、別の言葉で言い換えると、
“Of two competing theories or explanations, all other things being equal, the simpler one is to be preferred.”

「現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、よりシンプルな方を選ぶべきである」

ここで使われている「剃刀」という言葉は、不要な仮説をそぎ落とすことの比喩である。
必然性のない無用な概念を排除しようとした「思考節約の原理」とも呼ばれるオッカムの剃刀の考え方は、現代でも科学理論を構築する上での基本的な指針として支持されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/オッカムの剃刀